ほとんどの方が、僕をご存じないと思います
ですので、簡単な自己紹介をさせてください。
学生時代
僕は、1995年生まれの29歳。福井県出身です。
学生時代は、サッカーばかりやっていました。
福井県はサッカー弱小県ではありますが、
中学生の頃には、県選抜にも選ばれていました。
サッカーは頑張っていましたが、
中学3年になるまで、ほとんど勉強をせず
学年で最下位も取ったことがあるレベルです。
学力は最底辺だったので、
地元の工業高校に進学することになります。
こうして高校生になり、
留年の危機や、2度の謹慎処分になったりと
色々あったのですが、詳しく書くと長くなるので
ここまでにしておきます。
逃げるように名古屋へ
そうして、なんとか高校を卒業することができ、
名古屋の専門学校に進学することになりました。
なぜ名古屋で進学したのかというと、
とにかく地元から離れたかった。
これだけです。
僕の地元は、福井県の中でも田舎の方で、
何も無い田舎からとにかく外に出たい一心で、
逃げる様に名古屋に向かいました。
そして専門学校を卒業し、普通に就職しましたが、
1年半勤めて、22歳の頃に独立することになります。
独立開業
事業内容としては、
ECサイトでの販売事業です。
最初は、副業で転売からスタートしていました。
ヤフオクやネットショップで商品を仕入れて、
Amazonで販売するという、「せどり」と呼ばれるものです。
ですが、こんな転売屋をずっとやっていてはダメだと思い、
独立してからは、東京や大阪で開催される、
展示会に参加して、事業を広げることができました。
美容関係の展示会によく参加していましたが、
Amazonで販売したいと言っても、高確率で無理と言われます。
理由は、”転売屋が嫌いだから”です。
そりゃ、せっかく手間暇かけて作った商品を
転売屋なんかに卸したくないですよね・・・
特に美容関係の商材は、美容室やサロンで販売されるものが多く、
ネット販売されると、価格が下げられてしまい
美容室やサロンなどの店舗で売れなくなってしまいます。
美容メーカーも、Amazonで売りたくない訳ではなく、
安売りされるのを嫌がっていたわけです。
そこで、Amazonで一定の金額より安く販売されると、
安く販売している販売者の情報を抜き出すツールを制作しました。
安く販売されれば、自動で通知が来て
誰が、いくらで販売しているのかがわかるツールです。
このツールの資料を持って営業をかけにいきました。
りじ「Amazonで販売は考えていませんか?」
メーカー「Amazonは価格が崩壊するから考えていない」
りじ「価格が崩壊しているなら、どの販売者が安く販売しているか、
分かるツールがありますよ!」
メーカー「それすごいですね!!詳しく聞かせてください!」
少し角度を変えて、相手の悩みを解決する事で、
実際に興味を持っていただく事ができました。
あとは、Amazonで販売する販売者を絞り
Amazonで販売するのは僕の会社だけに
任せて貰えるように、営業をしていきました。
そうして徐々に売上げも上がり、独立して3ヶ月で月商500万、
粗利100万円ほどまで、成長させることができました。
ですが、たいした実力など無い22歳の若造です。
このままの調子で上手くいくはずもなく、
24歳で新型コロナが蔓延する時期に入ります。
コロナが蔓延
EC事業なので、影響ないだろうと思っていましたが、
取引先から「商品が少ないからあなたには卸せない」
と、言われてしまい、
「え・・・めちゃくちゃ影響あるやん・・・。」
仕入れの数が激減し、売上も徐々に下がっていきました。
コロナにより、色々な業界で
製造される商品の数が減ったことにより、
僕のような零細企業は、
他の大口の取引先に負けるのは、当然ですよね。
そうして、コロナが流行り出してすぐに、
「このままじゃまずい・・・」
資金繰りが悪くなり、
「何か手を打たないと・・・」
と思い始めます。
販路拡大や新規取引先を獲得しようと
たくさんのお金と時間を使い、
よくわからないコンサルにも頼ったりしました。
ですが、結果はお金と時間だけを消費してしまい、
あと3ヶ月ほどで資金ショートする可能性が出てきました。
はい。
焦って行動した、典型的な失敗例です・・・
パチプロになる
お金が無くなり、とにかくすぐに目先の現金だけでも、と思い
名古屋で打ち子を1日だけ経験することになりました。
これがパチプロになるきっかけです。
今思えば、「なんで打ち子なんだよ笑」
って思いますが、お金が無い時の精神状態って特殊で
正常に物事を考えることができないんです。
本当に自分以外の周り全てが敵に見えてきて
当時の僕も、精神的にかなりやられていました。
こうして、パチプロという世界を体験することになります。
りじの打ち子初日、打ったのは初代北斗無双です。
再プレイ無制限、止め打ちOKという店で、
無双の設置台数は80台です。
80台あっても半分以上がプロで
みんな貯玉10万発ぐらいは普通に持っていて、
当時の僕には、異常な光景でした。
どうやってパチンコで勝てるのか、
隣で打ってるリーダと話すことができて、
自分でもできるぞ!と、すぐに思いました。
今考えても無謀です。笑
幸い、ネットに勝ち方などは溢れている時代ですし、
ある程度は自分で調べて、月20万ぐらいなら
勝つことができました。
ですが、まだまだ会社がピンチということもあり、
月20万じゃ全然足りない!ってことで
ピンを2ヶ月やった後、軍団を作り始めました。
CR機からP機に変更されるなど、
結構厳しい時代から、パチプロをスタートしましたが、
軍団を作って現在5年目に突入し、在籍15名ほどで、自分がいなくても、
月100万円以上の利益を出せるチームを作ることができました。
軍団を作り、最低限の収入を増やすことができましたが、
収入よりも、自分を慕ってくれて、必要とされることに、
何よりもやりがいを感じました。
打ち子さんは基本的に、前の僕のように
お金に余裕がなかったり、家庭環境が悪いなど、
訳アリな方が多いです。
「スマホ代も払えなかったので、本当に助かりました」
「ずっと仕事が続かないけど、この仕事は続けたいです」
「家だと居場所がないから、この仕事が助かる」
「初めて家に仕送りすることができました」
「この仕事がなかったら、どうなってたかわからない」
実際に、こんな風に言ってくれるんです。
誰かに必要とされたり、感謝された経験が少ない僕には
今まで感じる事ができなかったやりがいを、
初めて経験する事ができました。
そのおかげで、打ち子さんの生活を
守ることをモチベーションして、
これまでパチプロを続ける事ができたと思います。
身近な人も、そうじゃない人からでも、
必要とされる仕事を、今後もして行きたい。
そしてその数を、どんどん増やしていきたい。
そのためには、僕も現役のパチプロとして、
今後も稼働を続けていきたいと思っています。
ガチホール
今の僕が、自信を持って伝えられることは、
経営や事業を成功させるノウハウではなく
「パチンコで勝つ方法」だけです。
表面的なノウハウは、ネットに溢れていますし、
それだけでも勝つことはできます。
ただ再現性が低く、難易度も高いです。
・釘なんか見たって回転率は分からない
・イベ頼りでは、抽選ゲーで安定して勝つのは難しい
・自分が一番だと思っている、情報量の少ないピンプロ
などなど
間違ってはいないけど、
それだけじゃ勝ち続けられないよ。
って人や情報をSNSでよく見ます。
せめて自分を慕ってくれている人には、
”正しい情報を伝えて、勝ちやすい環境を整えよう”
そんな想いで、「ガチホール」を作りました。
これからは、
沢山の人の役に立つ活動をしていきたいと思っています。
僕の活動が、少しでもあなたのお役に立てれば
僕はとても嬉しいです。
最後までお読み頂き、ありがとうございました。